かつては5つの国に分かれ、北に日本海、南に瀬戸内海と国内で唯一2つの海に接している兵庫県。その中で最大の面積を誇る播磨地域は多様な文化が共生してる。700年代に記された古事記や播磨国風土記による大和鍛治の神話が残り、当時から製鉄や鍛冶が盛んに行われていた。さらに韓鍛冶技術の伝来によって鍛冶のまち・三木の基礎はつくられた。
しかし1578年の三木合戦により一帯は焼け野原となった。後に天下を統一する羽柴秀吉は復興のため大工を集めて寺や家屋を修復。そこで優れた技術を身につけた大工たちが全国へ出向いた際、大工道具の品質もまた評判となった。
近年では国の伝統的工芸品に指定された鋸(のこぎり)・鉋(かんな)・鑿(のみ)等を総称する播州三木打刃物のほか、包丁・剃刀・農工具・鋏など日用道具の生産も増加。道具づくりだけでなく、研ぎの専門家など分業化されたものづくりも定着している。
暮らしに不可欠な刃物と鍛冶屋の営み。その背景にある三木の文化と歴史に触れながら、日本最古の鍛治のまちを旅していただきます。
日本最古の鍛冶のまち三木で、その背景にある大和鍛治神話や歴史に触れながら、料理人に愛される包丁や、大工に愛される鉋(かんな)の鍛冶屋を訪れます。鉄から刃物が生まれる工房の中で、職人のこだわりや技を体感していただきます。
1900年代初頭に鎌専門の鍛冶屋として創業した田中一之刃物製作所の4代目。 時代を見越して福井県武生市で包丁を扱う伝統工芸士鍛冶職人の所にて修行を積み、包丁づくりへ切り替えていった。本鍛造・手打ちにこだわる伝統的製法に加えて、自ら利用者の声を集めて作る漁師や料理人の包丁や新素材を積極的に取り入れながら細部まで強い拘りと美しいダマスカス模様を刻み込んだ包丁など製作している。
切れ味を左右する研ぎを専門とする三寿ゞ刃物製作所の3代目。 37歳まで広告会社の会社員として働いた後、妻の父が営む三寿ゞ刃物製作所に入社。鋼をステンレスで挟み込む「ステンレス割込包丁」を日本で初めて製造し、一丁の包丁で様々な具材を切る生活に合わせた「三寿ゞ型」、コシがあり真っ直ぐ食材が切りやすい「積層鍛地包丁」など、広い用途で長く使える新しい形の包丁づくりを行なっている。
1947年設立の株式会社常三郎(旧 常三郎かんな製作所)3代目。 30歳まで大手金属加工機械メーカーの営業として働きながら販売や展示会のノウハウを培い、その後常三郎へ入社。 手仕事による伝統技法と機械による精密加工を両立させた鉋の開発により”常三郎ブランド”を確立。現在は海外販売も積極的に取り組んでいる。大工道具である鉋だけでなく、かつお節削り器の製造なども行っている。
1903年に初代喜市が鉋の名匠黒川卯太郎へ弟子入りし、1919年に鉋刃製造の鍛冶屋として創業した山本鉋製造所の3代目。 2010年には播州三木打刃物の伝統工芸士に認定され、鍛冶名鉄心斎芳楽として本職用の5寸(約15.2cm)を超える大鉋から平鉋や1寸(約3cm)の小鉋、他にキワ鉋や内丸外丸鉋など特殊鉋の製造を、息子の健介さんと共に行う。